残業レコード

あるサラリーマンライダーの栄光と苦悩の記録

ひらい歯科の看板巡礼ツーリング

7月某日、コロナウィルスが少しは落ち着いたかと思えば、いじわるに梅雨は長引き、気持ちよくロングツーリングにも行けない日々が続いていた。自粛疲れ、なんて言うと大袈裟だけど、ちょっとストレスが溜まっているのは否めない。仕事の方も・・・相変わらずうまくいかない。こんな時には少しでもいいからバイクに乗りたいものである。

かと言って、遠出をするような気分にもなれない昨今の状況なので、なんとか近場でツーリング気分を味わえないものだろうか。そんなことを考えながら車を走らせていると、やけに大きく、やけに黄色いこの看板に遭遇した。

この看板、名古屋市民なら誰しもが知る「ひらい歯科の看板」である。名古屋市瑞穂区にあるひらい歯科(現在は名古屋歯科)さんの看板で、数年前から市内の至る所に出現し、なんなら市外でも見かけることがあるほどである。

看板に目一杯印刷されているのは平井院長の弾けるような笑顔だ。口元から覗く綺麗に並んだ歯の健康的な輝きも相まって、きっと腕のいい歯科医なのだろうという信頼感を抱かせてくれる。

平井院長の笑顔を辿っていけば、ひょっとしたら日々の仕事に疲弊した僕も元気になれるかもしれない。そんな思いつきから、僕は名古屋市内のひらい歯科の看板を辿って、名古屋市瑞穂区にあるというひらい歯科を目指すツーリングを敢行することにした。

名古屋市中区

まずは、名古屋を代表する繁華街である栄地区、および眠らない街こと錦3丁目などを擁する中区にやってきた。名古屋を代表するメインストリートである広小路通りという、広いんだか狭いんだかよく分からないネーミングだけど、実際はかなり広い道を走っていこう。
 
さっそく広小路葵交差点で看板を発見。幸先のいいスタートである。

広小路葵交差点


 
相変わらずデカい。そしていい笑顔だ。この看板が出現しはじめた当初こそ、街の景観を乱しているのではないかと一市民として危機感を抱いたものだが、もはや見慣れた景色の一部と化しているから不思議なものだ。
 
広小路通りをそのまま少しだけ西へ向かうと、すぐにまた看板が現れた。

東新町交差点


 
なんと、ひらい歯科の看板は黄色ばかりかと思っていたが、早い段階で白タイプに遭遇した。おそらく、ひらい歯科のすぐ下に構えるあんかけスパゲティ*1屋ユウゼンの看板と色が被らないように配慮したものと思われる。
 
この日2枚の看板を見つけた栄地区のあたりは、名古屋市の交通の拠点である中村区名古屋駅地区に対して、古くから商業の中心としての発展してきた地区である。名駅地区と比べると、比較的中低層の建物が多く、広小路通りや久屋大通などの広い道を中心とした、平面的な広がりや周遊性を感じされる街並みが特徴だ。
 
しかしながら、戦後に建設され、栄地区の発展を支えてきたビル群も老朽化が目立つようになってきた。そういった状況に対し、近年名古屋市は栄地区の再開発を進めはじめている。僕らが慣れ親しんだビルはこれから建替えが進み、どんどんと高層化・高密度化していくことになるだろう。三次元的な立体都市としての展開を始めるこれからの栄地区の動向には、是非とも注目していきたいところである。

名古屋市昭和区

栄のビル群を眺めながら南東に向かい、昭和区に突入した。昭和区は閑静な住宅街と複数の大学がキャンパスを構える名古屋きっての文教地区である。看板を見逃さないよう、飯田街道をゆっくりと走っていると、川原通7丁目の交差点でひらい歯科の看板を発見した。

川原通7丁目の交差点


 
こいつはラッキーだ。これはひらい歯科フリークの間では「旧型」と呼ばれるタイプの看板で、若いころの平井院長が写っている。髪型が現在と異なっており、毛先が遊んでいるのが分かるはずだ。旧型はなかなかお目にかかれないので、もし運よく見かけた場合には写真を撮っておくことを強く推奨しておく。
 
旧型の撮影に成功して満足していると、すぐ隣の山中交差点にも看板があった。

山中交差点


 
山中交差点はこれまでの看板と異なり、歩道に面してかなり低い位置に看板が配置されているため、ひらいさんとのツーショット撮影を行うことが可能である。看板を近くでよく見ると、自由診療1本30万円程度とある。インプラントの相場はそんなもんなのだろうか。30万円というと、マグネシウムホイールとだいたい同じくらいの価格帯だ。歯の大切さを思い知らされる。
 
さらに南東へ向かうともうひとつ隣の杁中交差点にもひらい歯科の看板があった。中区でもそうであったが、ひらい歯科はここと決めるとかなり近接して看板を設置する傾向があるようだ。何か特別なマーケティング手法なのだろうか。

こちらは一般的なタイプではあるがなかなかのサイズがあり、見ごたえ十分だ。
 

杁中交差点


天白区

飯田街道をそのまま走っていくと天白区に突入する。天白区は名古屋市の中でも住宅地としての性格が強い。区の名前のもとにもなっている天白川や、蛍もいるという相生山緑地などの自然も多く残されているのも特徴といえるだろう。

そんな天白川を跨ぐ島田橋、および天白川沿いに位置する天白スポーツセンターでひらい歯科の看板を見つけた。

島田橋


天白スポーツセンター南

出発が遅かったせいもあるが、看板を見つけるたびにバイクを停めて写真を撮ってを繰り返しているうちに、あたりはすっかり暗くなってしまった。

とはいえ、せっかく天白区までやって来たので久しぶりに稲葉山公園に寄ってみることにした。稲葉山公園は小高い丘の上にある展望公園で、結構夜景がきれいな場所である。学生時代、友人の軽自動車でドライブした日の終わりによく来て、男二人で夜景を見ながら無駄話をたくさんしたものである。

久しぶりに来てみると、稲葉山公園の夜景は自分の記憶の中の景色よりも随分とスケールが小さく感じられた。眼下に広がるちいさな生活の灯りの集まりは、友人としょうもないことを語り合った日々の思い出で勝手に美化されてしまっていたのかもしれない。

思えば、友人とはくだらない言い争いで気まずくなって以来、疎遠になってしまった。今は何をしているだろうか、仕事はどうしたかな、あの頃付き合ってた彼女とは結婚したんだろうか。久しぶりにLINEでもしてみようかと思ったけど、アカウントが見つからずに早々と諦めた。きっともう会うことはないんだろう。

名古屋市瑞穂区

ひらい歯科のホームグラウンド、瑞穂区にやってきた。このツーリングもそろそろゴールに近づいてきている。

大した距離こそ走っていないものの、夏の暑さもありさすがに少し疲れてきた。ここらで少し休憩を取ることにしよう。瑞穂区で一服といえばやはりここである。

コメダ珈琲本店

瑞穂区にはコメダ珈琲の本店が構えているのだ。知らない人のために説明しておくと、コメダ珈琲は東海地方を中心に展開する喫茶店チェーンである。オシャレなカフェというよりは、昔ながらの喫茶店の面影を残した店構えやメニューが、老若男女が気張らずに立ち寄れる雰囲気をうまく作り出している。

コメダ珈琲にきたら僕は必ず名物シロノワールを食べる。シロノワールというのは、サクサク柔らかなデニュッシユパンの上にたっぷりのソフトクリームを乗せコメダ珈琲のオリジナルデザートだ。


(今回はミニサイズを注文)

聞くところによるとこのシロノワールコメダ珈琲が創業した1977年から続くメニューのようである。ずいぶん親しまれているメニューだということがわかるだろう。コメダ珈琲には是非、いつまでも変わらず、この味を守り続けてほしいものである。

コメダ珈琲での一服を終え、瑞穂区役所前を目指す。ひらい歯科の本拠地だけあってかなり看板の数が増えてきている。それを象徴するかのような光景に出くわした。

汐路小学校北交差点

はじめての電柱タイプだ。しかも一つの電柱に看板と広告の二本立てである。しかし、驚くのはそこではない。実はこの電柱タイプの広告、付近の電柱に対して3本連続*2で設置されているのである。100mほどの区間で2×3=6つの看板が掲げられていることになる。しかも両面である。はっきり言って異常だ。

なぜ、そんなに汐路小学校前に執着するのだろうか。息子でも通っているのだろうか。そんなことを考えながらふと後ろを振り返ると、僕はとんでもない光景を目にしたのである。

写真が暗くて申し訳ないが、3連看板のすぐ奥にコンドウ歯科が建っているではないか。これは僕の推測の域を出ないが、状況から判断する限り、ひらい歯科はこのコンドウ歯科をターゲットにしていると言わざるを得ない。

地図を開いてみると、ひらい歯科はもうすぐそこまで迫っている。このままひらい歯科に向かうのが少し怖くなったが、僕は意を決して再びエンジンに火を入れた。身震いをする様に揺れるモトグッチが、僕の背中を優しく叩いた。

コンドウ歯科から数百メートルほど走ったくらいだろうか、僕はついにひらい歯科のある瑞穂区役所駅前にたどり着いた。

名古屋歯科(旧ひらい歯科)

思ったより小さい。看板が巨大なので、てっきり本体も巨大なのかと思い込んでしまっていた。広告費に費用をまわし過ぎているのかもしれない。正直なところ、少しばかり拍子抜けである。

さっき食べたシロノワールが奥歯にツンと沁みた気がした。ちょうどいいからひらい歯科で診察してもらおうかと思い、裏手にある駐車場にまわり込もうとしたところで目に飛び込んできたある看板に、僕は言葉を失った。

◆◆◆

ウイルスが蔓延したこの数か月の間に、世界の至る所で正義感のような得体のしれない何かが牙をむき、誰かを傷つけ、ぐちゃぐちゃにした。

昨日まで挨拶を交わしていたはずの隣人は自粛警察に豹変してしまったし、インターネットで隙のある言葉を発信すれば、知らない誰かにこれでもかと噛みつかれた。ひょっとしたら、このウイルスは噛みつかれた傷口から感染して、人間の暴力性を増幅させるウイルスなんじゃないかと思うほどだ。

だけど、本当はウイルスが蔓延するずっと前から、僕たちはずっと分かり合えないまま、争の連鎖から逃れられないでいたんだ。

十分な対話もしないまま、僕たちは隣人をカテゴライズし、決めつけ、罵る。見えない壁をたくさん建てて、それをウイルスのせいにした。

人と人とが分かり合うことは難しい。それでも分かり合う努力を怠ってはならない。

誰かの意思に想いを働かせる。アクリル板で隔てられても、きっとそれはできるはずだから。

*1:名古屋で働くサラリーマンのソウルフード

*2:後日通りかかった際、4本連続であることを確認している。