残業レコード

あるサラリーマンライダーの栄光と苦悩の記録

十二進法の夕景

12月

12月24日、この日僕のもとに新しい(と言っても中古の)クルマが納車された。タイミングがクリスマスイブの日になってしまったのは偶然なのだが、自分自身へのクリスマスプレゼントということになってしまってちょっと恥ずかしい。健やかなる独身中年男性はプレゼントをあげる側も受け取る側も自分一人でこなさなければならないので大忙しである。

ABRTH 124 spider、マツダのNDロードスターをベースに、1.4Lターボエンジンをのせ、ネオクラシックな外装に身を包んだFRスポーツだ。

以前、街で走っているのを見かけて以来、迫力のあるデザインと下品なエキゾーストノートに憧れていた車である。2020年に生産終了して以来、中古価格が高止まりしているが、乗れるうちに乗っておこうと思い購入に至った。

マフラーはレコード・モンツァという純正オプション品の付いた車両を探して選んだ。車検に通るのが不思議なくらいの音量で、バラついた下品な音を鳴らしてくれる。

内装はかなりロードスターなのだが、ドライバーファーストな操作系の配置と低い着座位置に興奮を覚える。(そもそもロードスターが素晴らしいのだ。)眼下に広がるパワーバルジを模したボンネットの隆起も、もはやインテリアの一部と言っていいだろう。

走り出してみるとはじめてのFRのコーナリングの気持ち良さに感動を覚える。ホントのことを言うと、この気持ちよさがFRであることによるものなのか、それともロードスターの設計によるものなのか、はたまたアバルトの味付けの恩恵なのか・・・乗ったことのある車種が少ない僕には判断がつかなかったが、とにかく楽しいことだけははっきりと認識できる。

こんな時代にこんなクルマを作ってくれたマツダFCAに感謝である。

久しぶりのマニュアルシフトと思ったより小さい低速トルクに翻弄され、ディーラーの駐車場から出る前にエンストをかましてしまった。

深呼吸して顔を上げると、下取りに出したチンクエチェントが、いつもと同じ笑ったようなフロントフェイスで僕を見守っている。最後の最後に不甲斐ない姿を見られてしまった。

5年の間お世話になったチンクエチェント。どんな人に引き継がれるのか分からないけど、きっと僕の次の誰かを、いろんな場所へと連れて行ってくれることだろう。


11月

クルマを乗り換える前にチンクで最後のドライブに出掛けることにした。行き先は三重県の伊勢志摩。チンクを買った時に住んでいた場所だ。

高速で伊勢西ICまでワープして、まずは伊勢志摩スカイラインを走る。久しぶりに来て知ったのだが、伊勢志摩スカイラインは12月から名前が変わってしまうらしい。日産自動車ネーミングライツを獲得し、伊勢志摩e-POWER ROADという名前になるそうだ。なんだか今っぽくて新しい匂いのする名前だ。

僕はネーミングライツというものが、名前に価値を見出している割に、慣れ親しんだ名前を奪い、またすぐに変わってしまったりして、名前を軽視しているようであんまり好きになれないのだが・・・やはり施設や場所を維持管理していくためには有効な手段のようだ。こうなったら、どんなに名前を変えてでも、次の世代にこの楽しい道を引き継いでいって欲しいものである。

ちなみにこれは有識者の方に教えてもらった情報なのだが、AV女優さんの名前が急に変わったりするのは所属事務所を移籍すると権利関係のなんやかんやで移籍前の名前が使えなくなってしまうことが原因らしい。出演作を調べる際などに手間がかかるので、できれば前の名前を引き継いで欲しいし、その方が前後双方の事務所も得をしそうなものだけど、まぁ色々と事情があるのだろう。

さて、この日はせっかくなので車の写真を残しておこうと思い、いつか買ったままほったらかしになっていたカメラを持ってきた。

PENTAX SPFというフィルム一眼。何十年も前に作られたものだけど、機構がシンプルなので未だにちゃんと動く。僕の前に何人の人の手に渡ったのか定かではないが、ボディに刻まれた無数の小傷がその歴史を感じさせる。

内臓の露出計がちゃんと合っているのか不安であったものの、それなりに使えていたようで、思った以上に鮮明に写してくれていた。ピントや絞り、シャッター速度をマニュアルで合わせる作業は、なかなか楽しいものである。

可愛い。まるで坂道みるさん(現在はmiruさん)のような白さである。

正式名称は忘れてしまったが、ちょっとパールっぽいホワイトを選んだので、光の当たり加減によって深みのある艶を出してくれる。夕焼け時なんかは特に綺麗だ。

内装はプラスチッキー、と言ってしまえばそれまでなのだが、タコメータースピードメーターを同心円上に配置した単眼風メーターや、外装と連続性のある丸みと艶感のあるインパネは、NUOVA 500をモチーフにしながらもこの車のために改めてデザインされた特別感が感じられて嬉しい。

伊勢志摩スカイラインを降りたら、鳥羽から志摩をつなぐパールロードを走る。山と海の混じる景色、とアップダウン、そして適度なワインディング。相変わらず気持ちの良い道である。

少し寒いが窓を思い切り開けて、ツインエアエンジンのパタパタと鳴る音を耳に刻む。

パールロードを抜けたら、何年かぶりに横山展望台に登ってみる。ここから見られる入り組んだ半島と小さな島々が連なる景色は、志摩市ならではのもの。所謂リアス式海岸なのだが、地理の教科書で見たゴツゴツと険しい写真と違って、志摩市のそれは丸く柔らかな広がりを見せる。

横山展望台は僕が志摩市を引っ越してからリニューアルされていたようで、ちょっと雰囲気が変わっていた。大きな展望デッキとカフェが整備され、以前よりもさらに素晴らしい場所になっている。

景色を眺めてのんびりしていると、いい時間になってしまった。名残惜しいが、そろそろ帰る時間である。帰ったら明日の仕事に備えて、坂道みるさんの新作でも鑑賞することにしよう。


10月

入院していた母方の叔母が退院して自宅療養になったというので、両親と祖母とともに会いに行くことになった。コロナ禍もあってしばらく顔を見ていないが、小さい頃からお世話になっていた親戚である。

むかし歯医者で働いていた叔母が、幼い僕に歯磨きの仕方を教えてくれたことを思い出す。そのおかげか、高校以来、僕は歯医者のお世話になっていないのだ。

バイクで実家に前乗りし、父の運転で朝から出掛ける。車の中では、叔父と叔母が結婚する前、バイク乗りだった叔父が叔母をタンデムして祖父母の家に現れ、祖父が激怒したというエピソードを教えてもらったりした。

叔父と叔母の家に着き、叔父に案内されて2階に上がる。

ベットで横になっていた叔母を見た瞬間、僕と父は、叔母の命がもうあまり長くないことを悟った。強い薬に蝕まれているのが分かった。

母と祖母は叔母の手を握り、まだ力があるからきっと良くなるね、と自分達に言い聞かせるように何度も言った。

帰り際、見送りに出てきてくれた叔父が、あと一週間ももたないだろうということを、祖母に聞こえないよう小さい声で教えてくれた。

帰りの車の中での母は意外と元気に見えた。歳を重ねる中で何かを失うことに慣れてしまったのか、それとも無理をしているのか、僕にはよく分からないまま、眩しい西日に景色が霞んだ。

家に戻ると、母がカレンダーの前で何度も足を止めていることに気がついた。どれだけ見ても変わるはずないのに、一週間後の日付をじっと見つめていた。

その横顔が、元気だった頃の叔母とよく似ていて、僕はいつか来るもっと先の日を想像してしまった。

それから一週間より少し後、叔母が亡くなったと知らせがあった。

1月

帰省して寝正月を過ごす。東京に引っ越した弟がいつになくお土産をたくさん買ってきていて、僕にはDUCATI 916の1/12スケールのプラモデルが用意されていた。「ありがとう!このバイク好きなんだよ!」と喜んで受け取ったものの、よくよく考えてみると随分舐められているような気がする。

誰かからもらった何かを、形を変えてまた別の誰かに渡す。幼い頃にプレゼントを貰った子供が、いつしか誰かのサンタクロースになるように、人はそこに宿った祈りや呪詛を継承するための装置でありさえすればよくて、それ以上には何の役割もないのかもしれない。

雑煮を食べ終わってテレビを付けると箱根駅伝が始まっていた。5区の山登りまでだらだらと見ていたいところであるものの、今年は弟が婚約者を連れて帰ってきた一方で、兄の僕が派手な車で帰省したもんだから、実家なのにかなりアウェイな空気感である。マツダ車だと言っているのに、全然信じてもらえない。これはぼちぼち帰るのが正解だろう。

いつもと同じように歯を磨き、傷だらけのカメラを鞄に入れて、中古で買ったクルマのエンジンをかける。なんだか僕は受け取ってばかりだな。

誰かに襷を渡すその時まで、貰ったものを大事にとっておこうと決意して、なんやかんや見送りに出てくれたみんなに大きく手を振りながら、まだ慣れないマニュアルシフトと小さい低速トルクに翻弄され、華麗なエンストを披露して見せたのだ。