残業レコード

あるサラリーマンライダーの栄光と苦悩の記録

マジセンチメンタルツーリング

2019/10/6

僕がバイクに乗るようになってもうすぐ1年が経つ。この1年、週末になると僕の住む名古屋を拠点に東海地方の色々な場所を走り回った。乗り出してからの走行距離は1万キロを超えるほどだ。

東海地方は太平洋沿いの海岸線を走る道から中桜高知に至る山道までツーリングルートに事欠かない。そんな中でも、三重県の伊勢志摩は東海地方のバイク乗りの間ではちょっとした聖地のような場所になっている。年中走れる温暖な気候に加え、伊勢志摩スカイラインパールロードなどの名道あり、おいしい食事あり、観光地あり、というまさにツーリングにはもってこいのエリアだ。

もちろん僕も何度も走りに行った、と言いたいところだが、ちょっと個人的な理由があって、伊勢志摩にはバイクで一度も行けないでいた。

 

◆◆◆3年前

もう3年前の冬のことだ。僕は仕事で1年間、三重県志摩市に赴任することになった。会社に入ってまだ間もない時期だったが、一度現場を経験させるという方針のための移動だった。まあ、ちょっとした修行みたいなもんだ。

もちろん、名古屋から通えるはずもなく、僕は訳もわからないまま志摩市に引っ越すことになったわけだ。

知らない街の風景、冷たい冬の空気、慣れない仕事への不安。今思えばあの頃の僕は陰鬱な気分を抱えながら日々を過ごしていたように思う。

そんな当時の僕のたったひとつの救いが、同じ職場にいた派遣の田中さんである。田中さんは僕より少し年上の女性で、持ち前のチャーミングなキャラクターでいつも職場を和ませてくれた。

当然のごとく、僕は田中さんに恋をしてしまったんだけど、一度ドライブを一緒にした時、勢いで告白してあっさりと振られてしまった。

伊勢志摩の道は、あの頃の仕事への憂鬱や助手席に座っていた田中さんのことを否応なしに思い出させる。

だから僕は、バイクに乗るようになってからも、伊勢志摩に行けないでいた。

 

◆◆◆2週間前

SNSで友人からキャンプツーリングの誘いがあった。キャンプツーリングは未経験なものの、前々から興味があったので是非とも挑戦してみたいと思っていたタイミングであった。

参加の返事をしようと行先を聞いてみると、キャンプ地は僕がかつて住んでいた志摩市だった。

三年前のことを思い出して、返事を躊躇した。だけど、もう三年も経つんだし、いつまでも引きずっているわけにもいかない。いっそのこと友人たちとのキャンプツーリングの思い出で全てを上書きできるかもしれない。そう思って、僕は3年ぶりに伊勢志摩に行くことを決めた。

 

◆◆◆出発前日

男のライダーはたいていロングツーリングにはテンガを持っていくんだけど、今回は急遽参加を決めたため、あいにくストックがない。

早急に参加人数分の8つを用意する必要があったため、最寄りのDVD屋さんに車を走らせた。

みんな知っていると思うが、DVD屋さんの一角はその手のグッズコーナーになっているので、急ぎの際には重宝する。

みんな知ってると思うが、大抵使い方のよく分からない道具を買おうとしているオジサンに遭遇する。そんなときには、互いに見えてないフリをするのが大人のマナーってやつだ。

みんな知っていると思うが、DVD屋さんのレジは客と店員が顔を見合わせて気まずくならないように垂れ壁が設けられており、安心してショッピングを楽しめるシステムが構築されている。

流石に8個も買うとそこそこの重量になってしまった。それはまるで、久しぶりの伊勢志摩や初めてのキャンプツーリングに緊張した僕の気持ちの重さに比例しているように感じられたんだ。

 

◆◆◆3年ぶりの伊勢志摩

御在所SAで集合し、志摩市は御座のキャンプ場を目指す。

伊勢志摩までは遠いイメージがあるかもしれないが、高速を使えば意外とすぐに伊勢市に到着する。高速をおりてから志摩市までは伊勢道路と呼ばれる下道を走る。僕が志摩市に住んでいた頃にも、車で何度も走った道だ。

嫌なことを思い出さないように走りに集中しようとした。大きなバッグをリアシートに積んでいるせいか、はじめてのキャンプツーリングに緊張しているせいか、いつもよりも車体が重たく感じる。

買い出しなどを道中で済ませつつ、志摩市は御座のキャンプ場にたどり着く。志摩市の景色は3年前と何も変わらず綺麗だった。

山は植樹とは異なる自然のままの木々に覆われ、少しずつ色味の違った緑色でパッチワークのように賑やかに彩られる。

海はそれが当たり前かのように澄んでいて、屈折した砂の灰色、反射した山の緑や空の青が半透明に混ざりあう。丁寧に塗り重ねた水彩画のように、底の色から水面の色までの全てが溶け合って一つの色を作りだす。

初めてのバイクでのキャンプは、まあ、ほとんど飯食って酒飲んでただけなんだけど、とりとめもなくバイクの話をしたり、キャンプ道具の話をしたり、少しプライベートな話をしたりで楽しく過ごすことができた。

帰りにはパールロードを走った。海と陸を薄く広く伸ばしたような伊勢志摩のリアス式海岸に沿って走るこのパールロードは、海沿いでありながらも気持ちの良いワインディングとアップダウンが続いていく。

昨日の道中よりも、心なしか軽快に走れた気がした。テンガをみんなに配った分、荷物が軽くなったおかげだろうか。

少しだけ、この道を派遣の田中さんを助手席に乗せてドライブしたことを思い出した。不思議と寂しさは感じなかった。

 

◆◆◆

風の噂で聞いたが、派遣の田中さんは僕の知らない誰かと結婚して、僕の知らないどこか遠くの町に引っ越してしまったそうだ。どうか元気に暮らしてほしい。

思い出は上書きするものじゃなく、何層も何層も塗り重ねていくものらしい。深い色や淡い色、鮮やかな色、その全てがいつまでも半透明なまま僕の記憶に居座り続ける。

これから僕は、バイクで伊勢志摩に何度も行くだろう。

伊勢志摩の道は、働き始めたばかりのこと、好きだった田中さんのこと、友人達と走ったこと、いろんな気持ちが入り混じった、僕の大好きな道だから。