残業レコード

あるサラリーマンライダーの栄光と苦悩の記録

オイル漏れはつづくよどこまでも

少し前から僕のバイクはオイル漏れが止まらない。こうなってしまったのは、古いからとかそういう理由ではなく、完全に僕の失敗が招いた結果である。

僕のバイクはオイルフィルターを交換ためにエンジン下部のオイルパンという蓋みないなものを外す必要がある。超めんどい。超めんどいけど、フィルター交換のたびにバイク屋まで行くのも億劫なので、自分でやることもある。

はじめてフィルター交換を試みたとき、オイルパンを外す際に変な力が加わってボルト孔の辺りをいわしてしまったようだ。それ以来ゆっくりとオイルが漏れて駐車場を汚している。

(写真にモザイクをかけているのは、隣のスペースで卑猥なことが行われているからとかではなく、隣人のプライバシーを守るためだ。)

なんとかしなきゃなあと思いながらも、液体ガスケットをボルトの周りに塗りたくってごまかしながら冬の間は乗っていた。

最近は外出自粛でツーリングに出かけるのも微妙な空気が漂っている。自分が無症状の感染者かもしれないと思うと身動きが取りづらくなってしまう。今は我慢のときなのかもしれないが、この騒ぎが落ち着いたらまたいろんな場所を走りにいきたいものだ。

そうだ。どうせ外出できないのなら、この期間を利用してオイル漏れをちゃんと治してしまおう。そう思い立って部屋を出る。

駐車場に舞い込んだ桜の花びらが真っ黒なスファルトをまだら模様に彩っていた。そういえば、あの事件が起きたのも零れ桜の綺麗な季節だった。

◆◆◆

もう何年も前の4月のはじめ。僕が社会人になって最初の赴任先は神戸だった。訳のわからないまま神戸市内の独身寮に引っ越してきたわけだが、当時の僕はこれから待ち受ける仕事と新しい生活に胸を膨らませ、とにかく前向きな心持ちだった。もしかすると、寮の玄関で僕を迎えてくれた朝桜が、そんな気分にさせていたのかもしれない。

寮はエリア分けされていたものの男女混合で、同期も何人か入寮していたこともあり、ここから社内恋愛が始まったりするんじゃないかなんてピンク色の期待を抱いていたりしたものである。

そんな気持ちとは裏腹に、季節の変わり目のせいか、慣れない環境のせいか、僕は入社して早々に胃腸風邪にかかってしまった。幸いウィルス性のものではなかったのだが、念のためと、寮の中の隔離部屋のようなところで過ごすことになってしまった。

せっかくの週末も、部屋とトイレの往復をひたすら繰り返した。なんなら、油断してちょっとだけ漏らしたりもした。ちょっとだけね。

◆◆◆

オイル漏れの対処法についてネットを徘徊して調べていると、配管工事で漏水対策としてボルトに巻くシールテープで止めることができた、という事例を発見した。

調べてみるとめちゃくちゃ安いし、ホームセンターの水まわりコーナーなんかでも買えるようである。

通販で手に入れたシールテープはこんな感じ。100円もしないのでうまくいかなくても、全然ダメージはない。フライパンとかでよく聞くテフロンという材料でできているらしい。なんか凄そう。

この製品、シールといいながらもペタっと貼りつくわけではなく、巻きつけて密着させるような使い方をするらしい。なんだか小さなトイレットペーパーみたいにも見える。

◆◆◆

腹痛との戦いは数日間に及んだ。それはもう寮のトイレットペーパーのストックを喰い潰すほどの勢いだった。

それでも、なんとか日曜の夜には体調も回復してきて、明日には仕事に戻れそうな状態にまで持ち直してきていた。トイレの頻度もだいぶ落ち着いた。

明日に向けて何か栄養でも取ろうとコンビニに軽食を買いに行くために寮の階段を降りる。1階の談話室では同期がちょっとした宴会を開いていた。女の子もいてすごく楽しそうだ。

なんだか自分だけ輪の中から漏れ出してしまったようで虚しい。だけど、この状態でお酒を飲むのはどう考えてもしんどい。僕はみんなの笑い声を横目に寂しく外のコンビニに向かった。

◆◆◆

患部のボルトを外してとにかくシールテープを巻きつけてみる。

どのくらい巻くものなのかよく分からないのでグルグル巻きである。ちなみに、ネジの締め込み方向に巻きつけると、締め込むときにめくれてしまうので、締め込み方向とは逆向きに巻く必要がある。

準備ができたらシールテープを巻いたボルトを問題のボルト孔にねじ込む。しばらく眺めてみた感じではオイル漏れは止まった?ように見える。

念のために翌朝になって様子を見てみると、残念ながらオイルが数滴アスコンの上に落ちていた。

ボルト孔が原因ではないのだろうか。本当の原因を探る必要がある。オイル漏れとの戦いはそう簡単には終わらないみたいだ。

◆◆◆

コンビニでパンを買ってきて寮の前の桜の木の下をとぼとぼと歩いていると、突き刺すような痛みが僕の腹の奥の方を襲った。そうだ、ヤツとの戦いはそう簡単には終わらない。

僕はすかさず少し内股になって肛門に横方向の圧縮力をかける。さらに小股での歩行により前後方向の荷重の抜けを最小限に抑えつつ、1階のトイレへと歩みを進める。ニーグリップで鍛え抜かれた僕の内転筋を持ってしても持ち堪えられる時間はわずかである。

幸いトイレは無人で、僕はトイレに小股で駆け込み大慌てでズボンを下ろして、便器に腰かけると同時に圧縮力を解放する。

痛みこそ激しかったものの、ろくに食べれずにポカリスウェットばかり飲んでいたためか、無色無臭の液体が肛門から噴き出るだけであった。音はシャーッである。お腹の弱いnoteユーザーの皆さんも経験あると思うが、激しく腹を下すと大抵こういった状態になる。

とにかく、同僚たちの前でシャビシャビのウンコを漏らして人間の尊厳を失うことを避けることができた。そう安心して僕がひとしきり尻を拭いて便座から立ち上がろうとしたそのときだった。トイレに併設された共用の洗面スペースに男女2人が会話しながら入ってきた。どうやら同期の奴らが宴会で使ったコップか何かを洗いにきたようだ。

トイレの個室から出てくるところを女子に見られるのがなんだか恥ずかしい気がして、僕はそいつらが用事を済ませて出ていくのを息を潜めて待つことにした。個室のドアは赤とか青の表示が無いタイプだから誰かが入っているのか入っていないのか分からないはずだし、まだ流していない下痢は幸いにも無臭タイプだったので、おそらくやり過ごすことができるはずだ。

僕の気持ちも知らずに、コップを洗いにきた同期の男女はなんだか楽しそうに話しており、なかなか出て行く気配がない。なんかちょっとイチャついてるくらいだ。クソッ。

そうこうしているうちに、腹の奥底からキリキリとした痛みが舞い戻ってきた。奴らの十八番、波状攻撃のはじまりだ。

イチャついてる同期の誰かよ、既に壊れかけの僕の肛門が第二波に破壊される前に、さっさと出て行ってくれ。

◆◆◆

てっきり肛門、もといボルト孔をダメにしちゃったのかと思っていたわけだが、違うようだ。ボルト孔付近をしっかり拭き取ってじいっと観察を続けてみると、どうやらボルト孔の横の小さな亀裂からオイルが漏れ出しているようだ。

液体ガスケットや多用途接着剤を亀裂の上のあたりに塗りたくってみても、ちゃんと固まるまでにオイルが出てこようとして道を作ってしまうらしくうまくいかない。

ということで、仕方がないので今度はオイルパンを取り外して、なんとかしてこの亀裂を塞いでみることにした。前回失敗しているだけに、オイルパンの取り外しは慎重にいかねばなるまい。ちょっとしたスリルを感じる。

◆◆◆

今にも暴発しそうな下腹部を押さえながら僕は祈った。早く出て行ってくれ。僕の、僕の肛門が張り裂ける前に。

一瞬、男女の会話が途切れて静寂な時間が訪れた。まるで、世界が突然息を止めたように静寂な時間がトイレを包む。

その次の瞬間だった。コップを洗っていたはずの男女が僕の隣の個室に雪崩れ込んできた。

そう。めっちゃキスしはじめたのである。しかもこのサウンド、バッキバキのベロチューだ。

腹痛に悶える僕の横で、ベロチューは激しさを増していく。

「ハァ、ハァ、、、ダメだよ、ユウくん。」

少し低い声の女が吐息を漏らしながら言った。

「スリルあるだろ・・・。」

ユウくんはハァハァ女にそう言ったが、この空間で一番スリルを感じていたのは間違いなく僕である。

ベロチューに呼応するように激しさを増していく腹痛に悶えながら、僕は全力で思考を巡らせた。もしこのままおっぱじまったら、ユウくんがかなりの早漏でも数分、遅漏もしくはフルコースで展開された場合には数十分に及ぶ可能性すらある。

冷や汗が体を伝う。誰がどう考えたって、ユウくんより僕が漏らすのが先じゃないか。永遠に続くかのようなベロチューの音の中、ドス黒い絶望感が僕の思考と肛門を支配していく。

ゲームオーバーだ。あきらめて僕が肛門に降り注いでいた力を解き放とうとしたそのとき、ガチャリとドアの開く音がした。

ハァハァ女が興奮するユウくんをなだめて二人で隣の個室から出て行ったのだ。第二ステージはユウくんの部屋で、ということだろうか。

二人の足音が遠のいていく。何故だか少し残念な気がしたけど、永遠にも感じられた我慢の戦いは終わったんだ。僕は僕の中の全ての力を解放した。

それはベロチューより気持ち良い瞬間だったかもしれない。

(これが、後に「下痢横ベロチュー事件」と呼ばれる出来事の一部始終である。) 

◆◆◆

簡易ジャッキを使ってパンを支えた状態で、対角に少しずつボルトを緩める。すべてのボルトが外れたらパンを手で支えつつジャッキを下ろす。今度はうまく外せたみたいだ。

オイルパンを外すとこんな感じで、フィルターが内側からしかアクセスできない。なんでこんな仕組みなんだろう。

ひとしきりオイルパンの掃除が終わったら、亀裂を塞ぐためにコイツを使ってみる。

耐熱のパテで金属にもいけるとのこと。パッケージの写真的に配管の穴とかを塞ぐものっぽいが、まぁなんとか使えるのではないだろうか。

パテの塊を少しもぎって、よく練り合わせる。そんなにすぐには硬くならないので、焦らずに亀裂の上に押しつけるようにパテを塗り込む。ボルトを締めるのに邪魔にならない程度に整形してこんな具合に仕上がった。

色がグレーなので意外と目立たない。液体ガスケットのグチャグチャした感じと違っていい感じだ。念のためにこのまま1日置いて、パテがしっかり固まるのを待つことにする。

翌日。パンを付け直してオイルを規定量入れたら、暖機運転をして漏れが止まっているかを確認する。エンジンが暖まるとオイルの粘度が下がって漏れてきやすい。

空冷のシリンダーヘッドが直接触れないくらい熱くなるのが暖気の目安。アイドリングしたまましばらく放置して様子を見てみる。どうやらうまくいったようで、エンジンをしばらく回すとジワジワと染み出してきていたオイルの姿はもうそこにはなかった。

外出自粛のこのご時世、愛車のメンテナンスに時間をかけるのも良いかもしれない。僕も気合を入れた洗車や、いつまでも合わないキャブレターの調整、調子の悪いブレーキランプの修理などやってみようと思っている。

長い我慢が終わったら、すぐにでも走り出せるように。

◆◆◆epilogue

少し前に関西に出張した折、下痢横ベロチュー事件の重要参考人であるユウくんが、家族とともに住む賃貸マンションに招待してくれた。ちょっと駅から歩くけど、なかなか広い部屋で、トイレもすごく綺麗だ。

料理を囲んで缶ビールを開ければ、一緒に寮に住んでた頃の昔話に花が咲く。仕事への不安や期待を共有した同期の友人とはいいものである。

酔っぱらったユウくんはキスよりハグ派とほざいていたけど、これに関してはマジでふざけんなって感じだ。

同期の中でも早いうちに結婚したユウくんは一家の主として随分とたくましくなったように見えた。少し低い声の奥さんも、ちょっとだけおしゃべりをするようになった子どもも、ユウくんを信頼していることが伝わってきて、何故だか僕は嬉しくなった。

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものである。名古屋に帰る終電に乗るため、また来るよと言って僕はユウくん宅を後にした。

今の世の中は我慢ばかりで気が滅入ってしまうかもしれない。お前に何がわかるんだと言う人もいるかもしれない。だけど、この我慢の後には、いつかきっと素晴らしい瞬間が訪れるはずだ。

駅までの夜道を早桜がぼんやりと照らしていた。この花がこんなにも美しく感じられるのは、長く厳しい冬の終わりを僕たちに知らせてくれるからなのかもしれない。

千鳥足のままふと後ろを振り返る。ユウくんの部屋からは柔らかな灯りと温かな笑い声が漏れ出していた。幸せな光と音が、いつまでもあの部屋から溢れつづけることを小さく祈って、僕は神戸の街を後にした。

ニースライダーのダメージ加工により膝擦れる奴感を演出して道の駅にいるライバル達に差をつけよう

〜レザーパンツとニースライダー〜

バイクに乗るときはバイク用ジーンズを履いて乗ることが多い。ジーンズはどんな服装にも合わせ易くて格好いい。さらに、バイク用の製品は立体裁断のおかげでバイクの操作を妨げないし、膝や腰にプロテクターを入れることだってできる。

だけど、高速道路なんかを走っていると、「もしもズッコケたら僕の下半身削れてズルむけになるんじゃないか」と不安になることがある。下品な皆さんが勘違いしないように断っておくと、これはちんちんの話ではない。

プロテクターは衝撃を吸収してくれても、路面との摩擦からは身を守ってくれない。なんというか、僕はもっとこう包まれている安心感が欲しい。どうやら僕は体だけじゃなく心の方も仮性包茎になってしまったみたいだ。おっと、これはちんちんの話。

そうなると、選択肢として上がってくるのはレザーパンツになる。レザーパンツってかなりイカつい印象があるし、結構コストがかかるしで、実はこれまで避けてきていたのだが、中古で程度の良いものを見つけることができたので、思い切って購入してみた。

いざレザーパンツを履いて試しに最寄りの道の駅まで走ってみると、安心感もさることながら、体をシートやタンクにホールドする効果がとても高いことが分かる。革が車体にへばりついてくれるおかげで、ニーグリップにかける力は少なく済み、カーブなどで尻をずらしても少ない面積で体を固定してくれて安定感がある。

ズボンはウェアの中でも、体とバイクをつなぐ役割を担っていて、ジャケット以上に操作性に与える影響が大きいということに今更ながら気付かされた。感覚的にはグローブに近いかもしれない。

さて、レザーパンツといえばニースライダー(もしくはバンクセンサー)が取り付いているものも多い。釈迦に説法になってしまうが、ニースライダーはハングオンしていったときに膝が路面に直接擦れるのを避けると同時に、車体の傾斜角を測るという役割を持っている。

このニースライダー、怖くてバイクをあまり寝かせられない僕のようなライダーはいつまでもキレイなままだ。一方、道の駅に出没する走り屋さんたちのニースライダーは傷だらけで、勲章のようにさえ見える。なんだか負けた感がすごい。

そんな敗北感を勝手に噛み締めながら、道の駅を歩いていると、ダメージジーンズを履いたいい感じのギャルを見かけた。

「ギャルと道の駅ってギャップが最高だぜ。じゅる。」とか思ってギャルの脚を凝視していると、僕の脳裏に一つのアイデアが舞い降りてきた。

「ニースライダーもダメージ加工してしまえばいいんじゃないか!?」

新しいアイデアというものはいつだって異分野からやってくるものである。実際に膝が擦れるか擦れないかなんて、些細な問題だったんだ。

しかしながら、ニースライダーがどんなダメージを受けるものなのかがよく分からない。何故なら僕は膝を擦らないからだ。現物をみてじっくり確認したいところだが、道の駅でたむろしている走り屋さんに話しかける勇気は持ち合わせていない。

走り屋さんに話しかけずに済む方法がないものか。経験豊富そうなギャルを横目に見ながら思索していると、またしても僕の脳裏にアイデアが舞い降りた。

「使い込まれたニースライダーさえ見られれば済むはず」

ということで、せっかく道の駅まで来たが、近くの峠道には寄らずに、中古カー用品バイク用品専門店のアップガレージ名古屋店にバイクを走らせる。もちろん道中、膝はまったく擦らない。

〜調査編〜

店内に入ると結構な数の革ツナギが置いてある。10着以上はありそうな勢いだ。そして中には期待通りかなりのダメージを受けたものもラインナップされている。世の中には果敢なライダーがたくさんいるものである。

調査を進めていく中でニースライダーの材料にはいくつかのバリエーションがあることが分かった。具体的には以下の3種類だ。

材質は耐久性と擦った時のフィーリングに違いをもたらす。一般的には金属>プラスチック>革の順に耐久性が低くなっていき、伝わってくるフィーリングは滑らかになる。(予想)

ライダー達は、峠で膝を擦り続け、何度も何度もスライダーを交換していく。そうした過程を経ることで、いつかきっと自分の求める理想の材質に辿り着くのだ。そう、それは恋と似ている。

ただし、今回はダメージ加工が目的であり、公道で膝をすることは求めていないため、加工のし易い樹脂製の一択で問題ない。耐久性もフィーリングも糞食らえである。

☆ポイント①:材質は樹脂製を選ぶべし。

削れ方としては、面的に擦れているものと隅部から削れて行っているものが見受けられる。そして、どのスライダーにも共通して言えるのは、傷口が黒くなっているということである。おそらくアスファルトに擦れたときに色移りしているのだろう。この黒色を再現することで、生々しさを演出できるはずだ。

☆ポイント②:傷口は黒くするべし。

スライダーの観察を続けているとカラーリングも様々なものがあることに気付く。最も多いのはイメージ通りの黒で、白もそこそこ多い。赤とか黄色とかの目立つ色のものもあってなんだか可愛い。

通常であればウェアの色に合わせるのが基本になるはずだが、ダメージ加工には明るい色を選んで欲しい。これは黒などの暗い色のものに加工をしても加工が目立ちにくいためである。カラフルなものはウェアとの相性があるため、白系のものを選んでおけば間違いないだろう。

☆ポイント③:色は白系を選ぶべし。

ブランドはパンツのメーカーに合わせておくのが無難だろう。あまりメーカーロゴが目立たないパンツを所有している場合は、レーシング色の強いブランドのスライダーを選ぶことで、さらなる玄人感を演出できるだろう。具体的にはダイネーゼ 、アルパインスター 、クシタニ、HYODあたりが狙いどころだ。

☆ポイント④:ブランドはパンツに合わせるのが基本、レーシング色の強いブランドも応用編としてあり。

調査はこんなところで充分だろう。期待していた以上の成果を得ることができた。せっかく来たので店内を物色していると、ちょうど新古品でクシタニのニースライダーが売っていた。

ベースカラーが黒でさっそくポイント③を無視しているが、ロゴは白いし、ポイント①と④はクリアしているので、これで試してみよう。

今回、ニースライダーを初めて単品で購入したわけだが、すっごく気分がいい。「いやあ、すぐすり減っちゃってさぁ」とか店員にわざわざ言いたくなっちゃう。危うくTwitterでも「前のスライダーはよく滑ってフィーリングは良かったんだけど、さすがに耐久性が低かったので、次は評判のいいクシタニのスライダーを購入。今度は1シーズンくらいは持ってくれよ〜。」とか空虚な報告するところだった。

このように、ニースライダー購入という行為は、ライダーのテンションを上げるポテンシャルを秘めている。仕事やプライベートで悩みがある人は、精神の滋養強壮剤としてバイク用品店でニースライダーを購入してみるのもいいかもしれない。

〜加工編〜

加工方法はいたってシンプル。そう、実際にアスファルトに擦り付けるのである。膝を擦れないならば手で擦り付けてしまえばいいのだ。

走り屋さんの膝になったイメージで下向きに力をかけつつスピーディにニースライダーを擦る。

この作業をひたすら繰り返す。樹脂製といってもさすがはクシタニ、かなり高密度なタイプのようで、なかなか硬くて結構疲れちゃう。こんな硬いものをすり減らすなんて、走り屋の皆さんもよくやるよ。

そんなこんなで完成したダメージニースライダーがこちらである。

予想以上に硬くて苦戦したが、走り屋さんが峠を2周したくらいの感じにはなった。ちなみに、黒色が思ったように色移りしなかったので油性ボールペンで色を足すという職人技も取り入れている。

あんまりやり過ぎるとボロが出そうなので、まずはこのぐらいのダメージ感が狙いどころだろう。月に一回くらいの頻度で同様の加工を加えていくことで、時間軸でダメージが育っていくリアル感を演出することも可能だ。

コイツをレザーパンツ に取り付けて道の駅に行けば、きっとダメージジーンズのギャルも振り向いてくれるに違いない。

◆◆◆

こうして僕はまた新しいハッタリを手に入れた。言ったもん勝ちの世の中だ。小さな自分を大きく見せよう。嘘で塗り固めた膝が僕を笑う。この分厚い嘘のかたまりは、いったい僕の何を守ってくれるんだろうか。

~2022.5.8追記 さらなるダメージを求めて~

ニースライダーにダメージ加工を施してから2年くらいが経過しただろうか。いまだに僕は膝を全く擦らずに毎日を過ごしている。いつの頃からか、道の駅で知り合ったライダーたちからも、疑念の視線が僕の膝に集まっているのを感じるようになった。

「おいおい、あいつのニースライダー、まったくダメージが進行していないぜ。」

立ちゴケで擦っただけなんじゃなくって?」

そんな心無い声が聞こえてくるような気がする。

ここらで一発テコ入れをしておく必要がありそうである。そんなわけで、ダメージ加工のためのニューアイテムを調達してきた。

BOSHのディスクグラインダーである。金属をも断ち切るこの圧倒的なパワーでねじ伏せてしまおう。わざわざアスファルトに擦り付けるなんて時代遅れだ。

このディスクグラインダーによりさらなるダメージ加工を施した逸品がこちらである。

勢いあまってシャンクスみたいな傷が入ってしまった。さながら膝擦り界の四皇ってところである。いったいどこで擦ればこのようになるのか?と聞かれた場合にはちょっとばかし説明が苦しいものの、この深い傷を見れば、たいていのライダーは尻尾を巻いて逃げ出すに違いない。

 

※ディスクグラインダーはかなりのハイパワーなので、加工の際には十分に気を付けてほしい。

簡単ジャケットカスタム

バイクに乗る時、僕は割り切っていわゆるバイクウェアを着ていた。ある程度パワーのあるバイクに乗ろうと思うと、プロテクション性能は欲しいし、バイクウェアのレーシーなデザインとスポーツバイクとの相性は抜群だ。

だけど、ちょっとした街乗りや目的地での滞在などを見据えたとき、カジュアルウェアだったらなあ、と思うことが正直なところあるのも事実だ。

そんなことを考えていたタイミングでこんなアイテムを見つけた。HYODのインナープロテクターシャツである。

コレを着た上にカジュアルウェアを重ねることで、ある程度のプロテクションとカジュアルさを両立できるという代物である。HYODお得意のD3Oプロテクターは比較的薄手で柔らかいので、インナーに仕込むのにも適している。

ジャケット一着買えるんじゃないかという価格設定が難点だが、思い切って購入してみることにした。バイクに乗る時間やツーリングの目的に合わせてインナープロテクター+カジュアルウェアという選択肢が増えるのはかなり大きい。

バイクに合わせるカジュアルウェアの代表格といえば、真っ先に思い浮かぶのはライダースジャケットだろう。そして、ライダースジャケットの次にポピュラーなのはオイルドコットンのモーターサイクルジャケットになると思う。バブアーやベルスタッフなどが何十年も作っている昔ながらのデザインで、僕はこちらが好みである。欧州車には抜群の相性だ。

ライダースジャケットもモーターサイクルジャケットも伝統的な定番デザインであるため、普通に着ていると結構人とカブる。そこで、簡単にできるカスタムを実践してみることにした。

ピンバッジカスタム

まずは手持ちのジャケットを用意する。今回は写真のオイルドコットンのモーターサイクルジャケットをカスタムしていく。

まずはコイツにピンバッジを付ける。ピンバッジは古着屋さん等で購入できるが、現代っ子なのでヤフオクとメルカリで調達してしまう。「ヴィンテージ ピンバッジ」や「バイク ピンバッジ」等で検索すると山ほど出てくる。

(探せばもっと安いのも見つかる。)

ピンバッジはある程度の数がある方が様になるので、基本的に安い物を狙って質より量を稼ぐ。どこかの高校のバッジとか、日本語がガッツリ書いてあるご当地ピンバッジは避けた方がよいだろう。

バイクメーカーやパーツメーカー、車体そのものなど、モーターサイクル感の強いピンバッジも結構見つかるので極力そういったものの中から選んでいく。海外オークションなどまで広げれば、自分の車体のピンバッジも作られていたりするので、コストはかかるが狙い目だ。

ピンバッジを手に入れたら、あとは適当なバランスでポケットに取り付けるだけ。ある程度数があったほうがいいと述べたが、ジャラジャラ付け過ぎるとパンクの人みたいになってしまうので、ポケットあたりにいくつか付けるぐらいが無難だろう。

ザッピングしている中で好きなアニメキャラクターのバッジを見つけても、勢いで購入しないように注意が必要である。僕たちが考えている以上に、女性ウケがあまり良くないようだ。

ワッペンカスタム

ピンバッジだけでもなかなか格好良くなるが、さらに定番のカスタムがワッペンである。ワッペンもヤフオクやメルカリで調達可能だ。ビンテージテイストの洋服屋さんがオリジナルワッペンを出しているケースもあったりする。

今回はAMA全米モーターサイクル協会)のワッペンを入手したのでこちらを使う。「お前のバイクイタリア製だろ」「あんたバカア?」などと思われるかもしれないが、僕のバイクはAMAのレースでMOTO GUZZIを駆って活躍したプライベーターが開発に関わっているという経緯があるので、そのストーリーを汲んでのチョイスである。

デッドストック品ということでかなり綺麗だが、ジャケットが結構やれた雰囲気を出しているので色味が少々合わない。そこで、家庭用の染料を使って軽めに染めてみることにした。使用するのはDYLONプレミアムダイという商品。

色褪せたTシャツとズボンを染めてみようと買っておいたものがあるので、ついでにワッペンも染めてしまう。コイツを説明書にしたがって6リットルのお湯に溶かす。

この黒いドロドロにワッペンを浸して少々待つ。染まりすぎないように数分とかそのくらいでいいだろう。意外と高かったので絶対失敗したくない。

やり過ぎた。AMAが闇の組織のようになってしまった。人類補完計画とか計画してそうな感じだ。

フェルトワッペンだったので染み込みやすかったらしい。幸い、まだ浸したばかりだったので、急いで石鹸で手洗いしてなんとか落とすことができた。

少しムラがあるがいい感じである。排ガスやホコリでくすんだような表情に近づけることができた。

汚し加工が終わったら次は遂に取り付けである。ワッペンは裏面に糊が付いていてアイロンで貼り付けられるものが多いが、このワッペンには糊は付いていない。

まあ、糊があったとしてもオイルドコットンにはうまく付かないと思うので、結局は縫い付ける必要がある。裁縫が得意な人やミシンの扱える人は自分でやるとよいだろう。

僕も取れたボタンの縫い付け等は自分でやるが、表にステッチが出てくるとなると自信がない。そう、今回は失敗が許されないのだ。

僕のように裁縫に自信がない場合は、仲のよい良い女友達、彼女、奥さん等に頼むという選択肢がある。大切な友人やパートナーの頼みであれば、きっと快く引き受けてくれるはずである。

上記に該当する女性関係を築けていない場合は、実家のお母さんに頼むという手がある。ただし、「そのワッペンカッコいいね!どこで付けたの?」みたいな質問をされたときに格好がつかないので、できれば避けたい最終手段である。

さて、なんとかしてワッペンを取り付けるとこのような感じになる。ワッペンの取り付け位置はポケット、ポケットの上のあたり、袖の肩よりちょい下あたりが定番である。ただし、ライダースジャケットやモーターサイクルジャケットは大抵裏地があるのでポケットに付けるのが一番簡単だ。

ワッペンについてもピンバッジ同様、あまりベタベタと貼り過ぎるのはおすすめできない。バイカーというよりミリタリーっぽくなってしまったりワークウェアっぽくなってしまう危険性が高い。

ピンバッジ・ワッペンカスタムはかなり簡単にモーターサイクル感を演出できる上、単純にピンバッジやワッペンを探すのも楽しい。子供っぽく見えてあまり好きじゃない、という意見もあるが、まあその辺は自己満足の世界だ。

おっと、ワッペンの取り付けを人にお願いした場合はお礼を言うのを忘れてはならない。伝えたいことはちゃんと言葉にする、それが大人の男ってもんである。もちろん、僕もお母さんにちゃんとありがとうと伝えた。

マジセンチメンタルツーリング

2019/10/6

僕がバイクに乗るようになってもうすぐ1年が経つ。この1年、週末になると僕の住む名古屋を拠点に東海地方の色々な場所を走り回った。乗り出してからの走行距離は1万キロを超えるほどだ。

東海地方は太平洋沿いの海岸線を走る道から中桜高知に至る山道までツーリングルートに事欠かない。そんな中でも、三重県の伊勢志摩は東海地方のバイク乗りの間ではちょっとした聖地のような場所になっている。年中走れる温暖な気候に加え、伊勢志摩スカイラインパールロードなどの名道あり、おいしい食事あり、観光地あり、というまさにツーリングにはもってこいのエリアだ。

もちろん僕も何度も走りに行った、と言いたいところだが、ちょっと個人的な理由があって、伊勢志摩にはバイクで一度も行けないでいた。

 

◆◆◆3年前

もう3年前の冬のことだ。僕は仕事で1年間、三重県志摩市に赴任することになった。会社に入ってまだ間もない時期だったが、一度現場を経験させるという方針のための移動だった。まあ、ちょっとした修行みたいなもんだ。

もちろん、名古屋から通えるはずもなく、僕は訳もわからないまま志摩市に引っ越すことになったわけだ。

知らない街の風景、冷たい冬の空気、慣れない仕事への不安。今思えばあの頃の僕は陰鬱な気分を抱えながら日々を過ごしていたように思う。

そんな当時の僕のたったひとつの救いが、同じ職場にいた派遣の田中さんである。田中さんは僕より少し年上の女性で、持ち前のチャーミングなキャラクターでいつも職場を和ませてくれた。

当然のごとく、僕は田中さんに恋をしてしまったんだけど、一度ドライブを一緒にした時、勢いで告白してあっさりと振られてしまった。

伊勢志摩の道は、あの頃の仕事への憂鬱や助手席に座っていた田中さんのことを否応なしに思い出させる。

だから僕は、バイクに乗るようになってからも、伊勢志摩に行けないでいた。

 

◆◆◆2週間前

SNSで友人からキャンプツーリングの誘いがあった。キャンプツーリングは未経験なものの、前々から興味があったので是非とも挑戦してみたいと思っていたタイミングであった。

参加の返事をしようと行先を聞いてみると、キャンプ地は僕がかつて住んでいた志摩市だった。

三年前のことを思い出して、返事を躊躇した。だけど、もう三年も経つんだし、いつまでも引きずっているわけにもいかない。いっそのこと友人たちとのキャンプツーリングの思い出で全てを上書きできるかもしれない。そう思って、僕は3年ぶりに伊勢志摩に行くことを決めた。

 

◆◆◆出発前日

男のライダーはたいていロングツーリングにはテンガを持っていくんだけど、今回は急遽参加を決めたため、あいにくストックがない。

早急に参加人数分の8つを用意する必要があったため、最寄りのDVD屋さんに車を走らせた。

みんな知っていると思うが、DVD屋さんの一角はその手のグッズコーナーになっているので、急ぎの際には重宝する。

みんな知ってると思うが、大抵使い方のよく分からない道具を買おうとしているオジサンに遭遇する。そんなときには、互いに見えてないフリをするのが大人のマナーってやつだ。

みんな知っていると思うが、DVD屋さんのレジは客と店員が顔を見合わせて気まずくならないように垂れ壁が設けられており、安心してショッピングを楽しめるシステムが構築されている。

流石に8個も買うとそこそこの重量になってしまった。それはまるで、久しぶりの伊勢志摩や初めてのキャンプツーリングに緊張した僕の気持ちの重さに比例しているように感じられたんだ。

 

◆◆◆3年ぶりの伊勢志摩

御在所SAで集合し、志摩市は御座のキャンプ場を目指す。

伊勢志摩までは遠いイメージがあるかもしれないが、高速を使えば意外とすぐに伊勢市に到着する。高速をおりてから志摩市までは伊勢道路と呼ばれる下道を走る。僕が志摩市に住んでいた頃にも、車で何度も走った道だ。

嫌なことを思い出さないように走りに集中しようとした。大きなバッグをリアシートに積んでいるせいか、はじめてのキャンプツーリングに緊張しているせいか、いつもよりも車体が重たく感じる。

買い出しなどを道中で済ませつつ、志摩市は御座のキャンプ場にたどり着く。志摩市の景色は3年前と何も変わらず綺麗だった。

山は植樹とは異なる自然のままの木々に覆われ、少しずつ色味の違った緑色でパッチワークのように賑やかに彩られる。

海はそれが当たり前かのように澄んでいて、屈折した砂の灰色、反射した山の緑や空の青が半透明に混ざりあう。丁寧に塗り重ねた水彩画のように、底の色から水面の色までの全てが溶け合って一つの色を作りだす。

初めてのバイクでのキャンプは、まあ、ほとんど飯食って酒飲んでただけなんだけど、とりとめもなくバイクの話をしたり、キャンプ道具の話をしたり、少しプライベートな話をしたりで楽しく過ごすことができた。

帰りにはパールロードを走った。海と陸を薄く広く伸ばしたような伊勢志摩のリアス式海岸に沿って走るこのパールロードは、海沿いでありながらも気持ちの良いワインディングとアップダウンが続いていく。

昨日の道中よりも、心なしか軽快に走れた気がした。テンガをみんなに配った分、荷物が軽くなったおかげだろうか。

少しだけ、この道を派遣の田中さんを助手席に乗せてドライブしたことを思い出した。不思議と寂しさは感じなかった。

 

◆◆◆

風の噂で聞いたが、派遣の田中さんは僕の知らない誰かと結婚して、僕の知らないどこか遠くの町に引っ越してしまったそうだ。どうか元気に暮らしてほしい。

思い出は上書きするものじゃなく、何層も何層も塗り重ねていくものらしい。深い色や淡い色、鮮やかな色、その全てがいつまでも半透明なまま僕の記憶に居座り続ける。

これから僕は、バイクで伊勢志摩に何度も行くだろう。

伊勢志摩の道は、働き始めたばかりのこと、好きだった田中さんのこと、友人達と走ったこと、いろんな気持ちが入り混じった、僕の大好きな道だから。

僕がSHOEIのZ-7を選んだ理由。

これまで原付二種しか所有してこなかった僕は、昨年大型二輪を購入するにあたって、ヘルメットを新調することにした。

そうと決まれば、善は急げだ。僕は最寄りのバイク用品店に駆け込んだ。原付2種が壊れていたので、ダッシュで駆け込んだ。

僕がSHOEIのZ-7を選んだ理由。

バイク用品店には様々なタイプのヘルメットが並んでいた。レトロなジェットタイプ、レーシーなフルフェイス、ジェットとフルフェイスのいいとこ取りなシステムヘルメットと様々だ。

悩みに悩んだのだが、大型バイクということもあり、安全性を優先してフルフェイスヘルメットを購入することにした。まずは安全性、真摯なライダーを目指す僕にとって当然の選択である。決して、バイク用品店の可愛い女性店員が最初にフルフェイスを勧めてきたからとか、そういう理由ではない。

数あるフルフェイスの中でも、軽くて帽体が小さいと評判のモデルがSHOEIのZ-7である。形もなんだか未来的で格好良いし、国産メーカーのSHOEIなら安全性についても信頼できる。そういった様々なことを勘案して、僕はSHOEIのZ-7を購入することにした。決して、SHOEI製品だと、可愛い店員がフィッティングサービスをしてくれるからとか、そういう理由ではない。

僕がAGVを選ばなかった理由。

僕が行ったお店には、SHOEI以外にも未来感の強い形状のフルフェイスがあった。イタリアのAGVというメーカーのヘルメットだ。

とにかくシュッとして格好良いが、いかんせん顎の尖りが強すぎる。最近の明日花キララ*1を彷彿とさせる尖りっぷりである。僕は明日花キララのAVが大好きだけど、だからといってAGVのヘルメットを買うのは違うと思ったんだ。

そういえば、Z-7を試しに被っているとき、明日花キララ似の可愛い店員に「似合ってますよ〜」と褒められた僕は「デヘヘ」とか言っていたが、今思うとあれってすごい皮肉だったんじゃないだろうか。

 

2019年7月22日

*1:第三形態を示す。筆者は、彼女の進化し続ける姿に敬意を払い、シン・キララと呼んでいる。

伊吹山にこぼれた涙

日曜日を利用して伊吹山ドライブウェイに行ってきた。

伊吹山ドライブウェイは昭和40年の開線以来、伊吹山を登る観光道路として賑わってきた道であり、ネットや書籍での紹介を読んで一度走ってみたいと思っていた。遠いと思い込んでいたのだが、名古屋から高速が空いていれば1時間ちょいくらいで行くことができる。

ドライブウェイ自体は最初こそブラインドコーナーが多いが、途中からは見通しもよく、気持ちのいいワインディングが続く。通行料2千円も取るだけあって路面もよく整備されており、評判通り大変楽しめる道である。

もちろん、冒頭の写真のように山々の連なる景色も素晴らしい。伊吹山の山頂からは関ヶ原と琵琶湖を見下ろすことができる。歴史好きな人は関ヶ原の戦いで散っていった武将達に思いを馳せるのもよいかもしれない。

スカイテラス伊吹山

ドライブウェイの終点は道の駅のような施設があり、食事をとったりテラスから景色を見ながらくつろいだりすることができる。このスカイテラス伊吹山伊吹山の9合目に位置しているので、山頂に行くには少し徒歩で登る必要がある。

この細い道を登っていけば山頂からはパノラマの絶景が約束されているが、ワインディングで疲れた僕は華麗にスルーである。この選択にはあの石田三成も真っ青である。

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絶品ソフトクリーム

フードコーナーではソフトクリームが販売されている。疲れを癒すには甘いものが一番ということだろう。

ここスカイテラス伊吹山ではよもぎソフトとか薬草ソフトとか、そういった変わり種も用意されており、なかなかの人気商品らしい。山のツーリングに来た時にはご当地ソフトを食べるのが楽しみというライダーもいるのではないだろうか。

一方、硬派な僕は、ソフトクリームはバニラ、パフェはチョコと決めているので、迷わずバニラを選んだ。これにはキリシタン大名として知られる小西行長もびっくりである。

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ツーリング先で食べるソフトクリームは格別である。季節が夏ということもあり、あっという間に食べ終わってしまった。

この味を伝えるために、せっかくなので写真をアップしようと思ったのだが、あいにく食べる前に撮るのを忘れてしまったので、今日のところは売店の前にあったソフトクリームのオブジェの写真で我慢してほしい。

よもぎソフトか薬草ソフトを再現しているようだが、伊吹山ドライブウェイの長い歴史とともに経年劣化で色がくすんでしまっていて、正直ウンコにしか見えない。なぜか顔が描かれているが、目の周りの塗装も剥がれてしまい、涙ぐんでいるウンコにしか見えない。これには臨済宗の僧でありながら大名としても名高い安国寺恵瓊もお手上げである。

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伊吹山にこぼれた涙

歴史はいつだって残酷だ。そして、いつの時代も戦いは繰り返される。今回登場した3人の武将は、いずれも関ヶ原の戦いで敗れた者達だ。

世界を見れば、未だにたくさんの命が悲しい争いの犠牲になっていて、今この瞬間にも消えゆく命があるかもしれない。僕らが歴史の授業を学んだのは、あの武将の死に様が格好いいとかそういう話をするためじゃなく、人類が同じ過ちを繰り返さないためだったはずなのに。

時間はその流れの中で、塗装の剥がれ落ちるスピードよりも少しだけゆっくりと、そこに込められていた思いや願いを風化させる。

ウンコのオブジェの瞳から今日も涙がこぼれ落ちた。かつて戦いのあったこの地で、いつまでも変わらない人間達を憂えているのかもしれない。

2019年8月4日

二台のモト・グッチ

イタリアのバイクメーカーモト・グッチの縦置きVツインエンジンには大きく二つの系譜がある。

ひとつは1968年に登場した初代V7やルマンシリーズ、V11などに代表されるビッグブロックと呼ばれるもの。僕の乗る1100 sportもこの系譜。

もう一つが1970年代後半に登場したV35やV50などのミドルクラスに採用されたスモールブロック。ビッグブロックをより扱いやすくした弟分みたいなもので、実は現行のV7ⅢやV9などはこのスモールブロックを発展させたものである。

迫力あるビッグブロックと軽快に楽しめるスモールブロック。モト・グッチの近代史は兄弟のようなこの二つのエンジンとともに歩み続けてきた。

DAY0

僕には二つ歳の離れた弟がいる。

年が近いこともあり、小さい頃はとても仲が良く、どこに行くにも一緒だった。友達の家に遊びに行く時も、なぜだか弟を連れて行くことが多かった。

いつだったか、二人して自転車で何十キロも離れた祖父母の家に行こうとしたことがある。知らない道を弟と二人で走る、ただそれだけなのに、信じられないくらい楽しかった。

だけど、夕方になって子供が一日で辿り着けない距離だと気づいて引き返した。帰り道はクタクタだったけど、やけに夕陽が綺麗で「また一緒に行こうぜ」と僕は言った。「約束な」と弟は答えたけど、夜中に帰ったらふたりで親に叱られて、結局再チャレンジすることはなかった。

中学、高校に進むに連れ、兄弟で一緒に過ごす時間は短くなった。それでも仲は良かったけど、好きなテレビやスポーツ、音楽も変わってきて、いろいろと違いが出てきたことを感じた。

互いに社会人になってからは、住んでいる場所が離れていることもあり、めっきり会う機会が減ってしまった。年に一回、正月に会うかどうかぐらいである。

数ヶ月前、そんな弟からふと連絡が来た。

「バイクを買った」という連絡だった。

送られてきた写真はモト・グッチV7Ⅱだった。国産のネオレトロ系を見に行ったはずが、お店でV7Ⅱのエンジンをかけてもらったら心を掴まれてしまったらしい。

年末、僕は少し早めに休みを取って、久しぶりに弟に会いに行くことにした。もちろん、僕のグッチに乗って。

DAY1

弟の住む神奈川県川崎市を目指して名古屋から新東名を走る。まだまだ長めのツーリングに慣れていない弟を迎えに行くためだ。

弟は直前にインフルエンザにかかってしまっていたが、なんとか持ち直したためツーリングを決行することにしていた。

川崎で弟と合流し、一通り互いのバイクを褒め称えたら事前に連絡しておいたルートを再確認してさっさと出発。弟は病み上がりだし、僕は僕で名古屋から走ってきた疲労もあるので、初日は寄り道をせずに伊豆半島の入口、熱海の宿を目指す。

道中、バックミラーに映る黒いグッチの走りは正直言って心許ない。ライダーの姿勢も肩に力が入ってしまってバイクの動きを邪魔しているように見える。

それでもなんとか無事に熱海にたどり着き、チェックインを済まして街を散策する。

急傾斜した土地に巡らされた道は這うよう曲がりくねり、道沿いの建物たちの軸線を三次元的に狂わせる。凹凸のある街並に入り込んでいけば、スナックや喫茶店、ストリップ劇場などの昭和の文化のなかに、コンビニやタピオカ屋などの新しい時間軸が混ざり込んでいる。

DAY2

明けて二日目が今回のツーリングのメインで、伊豆半島を一周して2日目の宿、修善寺を目指す。弟にとっては少しハードな距離かもしれない。

まずは伊豆スカイラインの入口、熱海峠ICに向かう。

伊豆スカイラインは広い道幅に大きなR、よく整備された路面のおかげで、初心者でもワインディングを楽しむことができる。天城高原まで走れば距離も40kmと長く、満足度が高い。初めてスカイラインなるものを走る弟も気持ちよく走ることができたようだ。

伊豆スカイラインを降りると、下田〜石廊崎を経由して黄金岬まで、海沿いの道を中心に走る。

半島のリアス式海岸は海沿いの道を上下左右にゆったりとくねらせる。通行量こそ多いものの、のんびりと景色を眺めながら走れば、飽きることなく走り続けられる道だ。

ぼーっと走っていたため、寄ろうとしていた展望台などを飛ばしてしまった。曲がる場所も何度か間違えて引き返したり、ルートを一部変更したりしつつも、黄金岬までたどり着く。

「道に迷ったら引き返せばいいし目的地なんてあってないようなもんだよ」と偉そうに言って僕は誤魔化す。僕より几帳面な弟は少々不服そうだが、ツーリングはユルくいきたいものである。

(写真は石廊崎にて)

ここからは西伊豆スカイラインを経由して修善寺を目指す。

西伊豆スカイラインは強過ぎず弱過ぎずの適度なカーブが続き、伊豆スカイライン同様に経験の浅い僕らでも楽しく走ることができる。その日は雲が多く、富士山こそ望めなかったが、稜線上から見下ろす駿河湾は静かで美しい。

西伊豆スカイラインを走っている最中に日が落ちはじめた。空と海のテクスチャが橙色に溶け合う境界線を二台のモト・グッチが走り抜ける。

ふと自転車で祖父母の家に行った日のことを思い出した。目的地も乗り物は変わってしまったけど、帰り道でしたあの約束を果たせたような気がした。きっと弟の方は、あのときのことなんて覚えていないだろうけど。

少し暗くなり始めたタイミングで修善寺の宿、HOSTEL KNOTにたどり着く。古い民家を改装したゲストハウスで、KNOTは結び目という意味らしい。土地と人、人と人、それらの繋ぎ目になるような場所を目指した名前なのだろうか。

修善寺温泉街は伊豆の中でもかなり歴史が古いようだ。建ち並んだ木造の旅館から零れ落ちた明かりが街灯代わりに夜の温泉街を優しく照らす。街の中にある修禅寺日枝神社は、規模こそ大きくはないものの、この土地と人の歴史を見守るように静かに佇んでいる。

DAY3

僕たちは修善寺で解散することにした。せっかくなので朝の温泉街を散策しながら、久しぶりにゆっくり会話をする。バイクのことや仕事のこと、互いのプライベートなこと。でも社会人になると、どうしても仕事の話が多くなってしまう。

弟は仕事のことで、大きな決断をしようとしていた。細かいことは書かないけど、ずっと悩んでいたことに結論を出したみたいだ。

生活はこれから大きく変化するだろう。それに伴って、バイクを手放すことを決めたという。それは仕方のないことで、僕も無理に止めようとはしなかった。

道に迷ったら止まればいいし、ときには引き返したって構わない。だけど、引き返すときにも前を向いていて欲しい。だって、バイクはそういう乗り物なんだから。

目的地にたどり着くルートはいくらでもあって、その目的地さえも、状況に応じて変えてしまえばいい。ストイックに計画を遂行するばかりが、ツーリングの楽しみ方じゃないはずだ。

もう出発の時間だ。しっかりと暖気をして、結び目を後にする。

バックミラーに映る黒いグッチは、初日よりも随分とたくましく走るようになっていた。これならもう、どこへだって一人でいけるに違いない。

弟のV7Ⅱと走るのは、きっとこれが最初で最後になるだろう。

モト・グッチでなくてもかまわない。いつかまた、バイクに乗って欲しいと思った。

分かれ道の交差点、信号待ちで二台のモト・グッチが並んだ。

「また一緒に行こうぜ」と僕は言う。

「約束な」と弟は答えた。

修善寺HOSTEL KNOTにて)