イタリアのバイクメーカーモト・グッチの縦置きVツインエンジンには大きく二つの系譜がある。
ひとつは1968年に登場した初代V7やルマンシリーズ、V11などに代表されるビッグブロックと呼ばれるもの。僕の乗る1100 sportもこの系譜。
もう一つが1970年代後半に登場したV35やV50などのミドルクラスに採用されたスモールブロック。ビッグブロックをより扱いやすくした弟分みたいなもので、実は現行のV7ⅢやV9などはこのスモールブロックを発展させたものである。
迫力あるビッグブロックと軽快に楽しめるスモールブロック。モト・グッチの近代史は兄弟のようなこの二つのエンジンとともに歩み続けてきた。
DAY0
僕には二つ歳の離れた弟がいる。
年が近いこともあり、小さい頃はとても仲が良く、どこに行くにも一緒だった。友達の家に遊びに行く時も、なぜだか弟を連れて行くことが多かった。
いつだったか、二人して自転車で何十キロも離れた祖父母の家に行こうとしたことがある。知らない道を弟と二人で走る、ただそれだけなのに、信じられないくらい楽しかった。
だけど、夕方になって子供が一日で辿り着けない距離だと気づいて引き返した。帰り道はクタクタだったけど、やけに夕陽が綺麗で「また一緒に行こうぜ」と僕は言った。「約束な」と弟は答えたけど、夜中に帰ったらふたりで親に叱られて、結局再チャレンジすることはなかった。
中学、高校に進むに連れ、兄弟で一緒に過ごす時間は短くなった。それでも仲は良かったけど、好きなテレビやスポーツ、音楽も変わってきて、いろいろと違いが出てきたことを感じた。
互いに社会人になってからは、住んでいる場所が離れていることもあり、めっきり会う機会が減ってしまった。年に一回、正月に会うかどうかぐらいである。
数ヶ月前、そんな弟からふと連絡が来た。
「バイクを買った」という連絡だった。
送られてきた写真はモト・グッチV7Ⅱだった。国産のネオレトロ系を見に行ったはずが、お店でV7Ⅱのエンジンをかけてもらったら心を掴まれてしまったらしい。
年末、僕は少し早めに休みを取って、久しぶりに弟に会いに行くことにした。もちろん、僕のグッチに乗って。
DAY1
弟の住む神奈川県川崎市を目指して名古屋から新東名を走る。まだまだ長めのツーリングに慣れていない弟を迎えに行くためだ。
弟は直前にインフルエンザにかかってしまっていたが、なんとか持ち直したためツーリングを決行することにしていた。
川崎で弟と合流し、一通り互いのバイクを褒め称えたら事前に連絡しておいたルートを再確認してさっさと出発。弟は病み上がりだし、僕は僕で名古屋から走ってきた疲労もあるので、初日は寄り道をせずに伊豆半島の入口、熱海の宿を目指す。
道中、バックミラーに映る黒いグッチの走りは正直言って心許ない。ライダーの姿勢も肩に力が入ってしまってバイクの動きを邪魔しているように見える。
それでもなんとか無事に熱海にたどり着き、チェックインを済まして街を散策する。
急傾斜した土地に巡らされた道は這うよう曲がりくねり、道沿いの建物たちの軸線を三次元的に狂わせる。凹凸のある街並に入り込んでいけば、スナックや喫茶店、ストリップ劇場などの昭和の文化のなかに、コンビニやタピオカ屋などの新しい時間軸が混ざり込んでいる。
DAY2
明けて二日目が今回のツーリングのメインで、伊豆半島を一周して2日目の宿、修善寺を目指す。弟にとっては少しハードな距離かもしれない。
まずは伊豆スカイラインの入口、熱海峠ICに向かう。
伊豆スカイラインは広い道幅に大きなR、よく整備された路面のおかげで、初心者でもワインディングを楽しむことができる。天城高原まで走れば距離も40kmと長く、満足度が高い。初めてスカイラインなるものを走る弟も気持ちよく走ることができたようだ。
伊豆スカイラインを降りると、下田〜石廊崎を経由して黄金岬まで、海沿いの道を中心に走る。
半島のリアス式海岸は海沿いの道を上下左右にゆったりとくねらせる。通行量こそ多いものの、のんびりと景色を眺めながら走れば、飽きることなく走り続けられる道だ。
ぼーっと走っていたため、寄ろうとしていた展望台などを飛ばしてしまった。曲がる場所も何度か間違えて引き返したり、ルートを一部変更したりしつつも、黄金岬までたどり着く。
「道に迷ったら引き返せばいいし目的地なんてあってないようなもんだよ」と偉そうに言って僕は誤魔化す。僕より几帳面な弟は少々不服そうだが、ツーリングはユルくいきたいものである。
(写真は石廊崎にて)
西伊豆スカイラインは強過ぎず弱過ぎずの適度なカーブが続き、伊豆スカイライン同様に経験の浅い僕らでも楽しく走ることができる。その日は雲が多く、富士山こそ望めなかったが、稜線上から見下ろす駿河湾は静かで美しい。
西伊豆スカイラインを走っている最中に日が落ちはじめた。空と海のテクスチャが橙色に溶け合う境界線を二台のモト・グッチが走り抜ける。
ふと自転車で祖父母の家に行った日のことを思い出した。目的地も乗り物は変わってしまったけど、帰り道でしたあの約束を果たせたような気がした。きっと弟の方は、あのときのことなんて覚えていないだろうけど。
少し暗くなり始めたタイミングで修善寺の宿、HOSTEL KNOTにたどり着く。古い民家を改装したゲストハウスで、KNOTは結び目という意味らしい。土地と人、人と人、それらの繋ぎ目になるような場所を目指した名前なのだろうか。
修善寺温泉街は伊豆の中でもかなり歴史が古いようだ。建ち並んだ木造の旅館から零れ落ちた明かりが街灯代わりに夜の温泉街を優しく照らす。街の中にある修禅寺や日枝神社は、規模こそ大きくはないものの、この土地と人の歴史を見守るように静かに佇んでいる。
DAY3
僕たちは修善寺で解散することにした。せっかくなので朝の温泉街を散策しながら、久しぶりにゆっくり会話をする。バイクのことや仕事のこと、互いのプライベートなこと。でも社会人になると、どうしても仕事の話が多くなってしまう。
弟は仕事のことで、大きな決断をしようとしていた。細かいことは書かないけど、ずっと悩んでいたことに結論を出したみたいだ。
生活はこれから大きく変化するだろう。それに伴って、バイクを手放すことを決めたという。それは仕方のないことで、僕も無理に止めようとはしなかった。
道に迷ったら止まればいいし、ときには引き返したって構わない。だけど、引き返すときにも前を向いていて欲しい。だって、バイクはそういう乗り物なんだから。
目的地にたどり着くルートはいくらでもあって、その目的地さえも、状況に応じて変えてしまえばいい。ストイックに計画を遂行するばかりが、ツーリングの楽しみ方じゃないはずだ。
もう出発の時間だ。しっかりと暖気をして、結び目を後にする。
バックミラーに映る黒いグッチは、初日よりも随分とたくましく走るようになっていた。これならもう、どこへだって一人でいけるに違いない。
弟のV7Ⅱと走るのは、きっとこれが最初で最後になるだろう。
モト・グッチでなくてもかまわない。いつかまた、バイクに乗って欲しいと思った。
分かれ道の交差点、信号待ちで二台のモト・グッチが並んだ。
「また一緒に行こうぜ」と僕は言う。
「約束な」と弟は答えた。
(修善寺HOSTEL KNOTにて)